自己紹介:副院長 多田 将人

1980年3月24生まれ

桃太郎伝説で有名な岡山県出身です。

瀬戸内海には後付けですが鬼ヶ島もありますよ。

父親の仕事の関係で生まれてすぐ

広島県呉市(戦艦大和が製造された場所です)に移り住み

3歳まで過ごしました。

小さかったこともあり、あまり記憶には残っていません。

3歳で岡山県に戻り、何度か引越しはありましたが19歳まで暮らしていました。

岡山は広島弁に似た方言があり

岡山弁で話すのを聞いた関東出身の友人が「怒っているの?」というほど

強い口調に聞こえるようです。

岡山の方以外では意味の伝わらない有名な方言があります。

「でぇこんてぇてぇてぇ~」

なんと言っていると思いますか?

気になる方はググってください。

私には姉と兄がおり、年子3兄弟の末っ子です。

テレビゲーム、漫画、映画が大好きで

ゲームはドラクエ、ファイナルファンタジー、天外魔境などRPGが好きでした。

親の目を盗んではゲーム三昧の日々でした。

漫画はドクタースランプ、ドラゴンボール、スラムダンク、修羅の門、ジョジョの奇妙な冒険などにはまっていました。

強くて目立つ主人公に自分の願望を重ねていたように思います。

映画はアクション、コメディー、ホラーが大好きで、学校がある日は、わざわざ早起きしたり

休みの日は何時間でも連続で撮りためたものを見たりしていました。

ジャッキー・チェンの映画を見た後は自分もカンフーの使い手でした。笑

中学生の頃に兄の影響でハードロックやヘビーメタルを聴くようになりました。

レッドツェッペリン、ディープパープル、エアロスミス、キス、モトリークルー、ボンジョヴィ、メガデス、マリリン・マンソン、、、などなど

あげればキリがありません。

高校に上がる頃には音楽を聴くと体が自然と動き

リズムを取っていることがよくありました。

その頃、友人の家にドラムセットがあるのを知り

ちょくちょく教えてもらうようになりました。

今でも楽器の中でドラムが一番かっこいいと思っています。

なんで歯科医師になったのか(なりたかったのか)自分でも考えてみました。

父が医師なので「医者じゃないんだ?」と言われることがよくあります。

でも自分はほぼずっと歯科医師志望なんです。

小学生の低学年の頃は父の聴診器で遊びながら

「大きくなったら医者になる!」と兄と一緒に豪語してみたり

物作りに興味があったせいなのか「木彫り師になる!」と言ってみたり

言葉だけで具体性のかけらもありませんでした。

3、4年生の頃に母親から

「のぶひとは手先が器用じゃけぇ、歯医者が向いとるかもなぁ」と言われたことを真に受けて

徐々にその気になっていきました。単純なんです。笑

また兄とその頃、

「兄ちゃんが医者になって、僕が歯医者になったら

お父さんとお母さんが喜ぶわぁ」

なぁんてことをよく語り合ったりしました。

5年生になる頃には歯医者になることを決め、周囲に話していました。

6年生の卒業文集の「将来の夢」には

「大衆受けする歯医者とラジオのDJ」と書きました。

しゃべることに対しても興味があったようです。

6年生で受験をし、6年一貫の中学校高等学校に進学しました。

周りには秀才ばかり、、勉強は興味のあること以外全くできませんでした。

現役での大学受験はうまくいかず

長い浪人生活が始まりました。。

歯科医師になる夢は持ち続けていましたが、2浪になった頃には大学に入ることが目的になりモチベーションは下がり、バイト三昧の日々。。

全てがつまらなく感じ、高校生の頃に覚えたドラムを本格的にやりたくなり

すぐにドラムセットを購入、バンド活動に傾いていきました。

そんな状態で、2浪目の受験もうまくいくはずはありませんでした。

そんな時に母から

「あんたは岡山におったらダメになる!外に出んとおえん!」

(訳:あなたは岡山にいるとダメになる!外に出ないとダメよ!)

と促され、3浪目から兵庫県神戸市にある予備校の寮に入りました。

一人部屋でしたがテレビもラジオも無い生活がスタートしました。

環境に馴染めず、友人もできず

予備校にあまり行かなくなってしまいました。

そんな3浪目の夏に三者面談があり、岡山から母親がやってきました。

予備校の担任「最近ほとんど予備校に来てへんね」

母親「あんたなぁ…」

親に申し訳なさすぎて顔をあげられませんでした。

そして夏から必死に勉強しました。

さすがに苦しかったので「今年で受験は終わらせる!」と決意し

様々な大学や学部を受験するために一週間ほど受験の旅(笑)に出ていた時でした。

何校目かの試験を終え、宿泊するホテルに戻った時に

母親から電話がかかってきました。

「あんた、歯学部の合格通知きとるよ!残りの試験はええから、はよぉ帰ってこられぇ!」

嬉しさのあまりホテルのベッドで大声をあげて何度も飛び跳ねました!笑

部屋の外で誰かに聞かれていたら、気がふれたと思われたかもしれません。

それくらい嬉しかったんです。

夢の第一歩を踏み出し、受験のストレスから解放された時に

ふと空の月が目にとまりました。

なぜかすごく綺麗に見えたのをよく覚えています。

ついに歯科医師になるための学生生活が始まりました。

大学ではバレーボール部、軽音部、トレーニング同好会に所属し

部活動が楽しく、勉強はからっきしでした。

ただ、同期や先輩に助けてもらいながら、無事に卒業し歯科医師になることができました。

部活の先輩に誘われ

2007年に野上歯科医院での研修を経て

2008年に正式に就職しました。

最初はできないことしかなくて

苦痛に感じることもありましたが

少しずつ前進していきました。

そんな時に母親の言葉を思い出しました。

小学生の頃に言われた言葉です。

「あんたは大器晩成型じゃけぇ、じっくりやればええんよ」

今もその言葉は生きているように感じます。

思い返せば

自分の人生の岐路に必ず母親が現れて、そっと背中を押してくれていました。。

余談ですが

母親は昔、バイクや車が好きで

テレビで放映していたF1の放送をよく見ていました。

特にアイルトン・セナが好きでした。

彼がレース中に事故に遭い亡くなりました。

あまりにもショックで、次の日の母親の様子がおかしく

「私はしばらく喪に服します。」と言い放ち

一週間ご飯を作ってくれなくなりました。苦笑

若干?変わってるところがあります。笑

父親は仕事が忙しく

あまり家にいませんでした。

学校の行事に参加してくれたことは小学校の運動会に一度だけでした。

それでも医師として頑張っているんだなぁと幼心で感じていたので

大きくなったら仕事をバリバリできる、ああいう人間になりたいなぁと思っていました。

なので父のことをずっと尊敬しています。

父は仕事が楽しくて楽しくて仕方ないそうです!

歯科医師になって少しずつ感じたこと。

技術の習得や知識を得るための勉強は楽しい!

学生時代は進級するための勉強になっていました。

それにはストレスを感じてばかりでしたが

歯科医師になってからは自分が望んで勉強することに心地よさすら感じます。

勉強嫌いだと思っていたのに、思い込みだったようです。

これには自分でも驚きました!

歯科医師になり10年以上が経ちました。

人が言葉で発していたことは現実になります。

強い思いを持っていれば必ず夢は叶います。

その時はできなくても、それで終わりではありません。

兄も一度は受験に失敗して文系の大学に進学しましたが

卒業後、医大を受験しなおし、今では消化器内科として活躍しています。

何かうまくいかなくてもそれは自分が成長するための歩みの一部でしかありません。

私の今の夢は

「28Clinicに来てくださった方が、心から笑顔になれるよう関わること」です。

そのお手伝いを歯科医師という立場から積極的に行います。

 

【多田 将人 についてもっと知りたい方は こちら

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